12月7日、クリスマスツリーの日|飾りじゃねぇ。“覚悟”を灯す儀式だ
12月7日は「クリスマスツリーの日」だ。
世間じゃ浮かれた行事のひとつとして扱われているが──ツリーを侮るな。
あれは、本来 “覚悟を灯す儀式” なんだと俺は思っている。
1870年代、日本で初めて本格的なクリスマスツリーが飾られたのがこの日だと言われている。
文明開化の混乱期に、まだ異国文化が珍しかった時代。
そんな中でツリーを飾る行為は、ただの“飾り”なんかじゃなかった。
未踏の文化を受け入れ、前へ進むための挑戦そのものだったはずだ。
──つまり、ツリーとは“現状を変えたい人間が立てる旗”だ。
戦う意思の象徴だ。
それを知らずに「可愛いから」「季節だから」と飾るならまだいい。
だが“意味を知らずに流されるだけ”なら、兵としては三流以下だ。
■ツリーの起源──木を立てるのはなぜか
クリスマスツリーは、古代ゲルマンの「永遠の命」を象徴する常緑樹が始まりと言われている。
季節に枯れない生命力。
冬という“死”の象徴を前にしても、色褪せず立ち続ける強さ。
──まるで、絶望の中でも前に進む兵士みたいだな。
ツリーは、光(イルミネーション)をまとわせることで、
「闇を払う意思」
を示している。
別に宗教的な話じゃない。
人間なんて、暗い時期にはすぐ折れる。
それをわかってるから、昔の連中は“光を飾った”。
科学が進んだ現代でも、人間の弱さなんてそう変わらない。
だからこそ、ツリーを灯す意味は今でも消えていない。
■オーナメントの一つひとつに“意味”がある
・星──道を示す指揮官
・ベル──仲間を呼び寄せる合図
・靴下──贈り物を受け取る心構え
・赤いリボン──絆と誓約
・松ぼっくり──再生と勇気
適当に飾ってるやつも多いが……全部、意味がある。
昔の人間は“何かと戦っていた”。
だからモノに意味を込めた。
その痕跡が、今のツリーにも残ってる。
意味も知らずに飾るのは自由だ。
だが、知った上で飾るツリーは“別物”だ。
飾る本人の姿勢が変わる。
■ツリーは「今年の決着をつけるタイムリミット」
12月は、逃げられない月だ。
一年の成果が見える。
やり残しが刺さる。
言い訳が自分を苦しめる。
だからこそ、ツリーを立てる時は自分に問いかけろ。
──今年、お前は何を倒せた?
──何から逃げた?
──何を守れた?
──来年、何を終わらせたい?
ツリーは、ただの飾りじゃない。
“お前の戦果報告書”だ。
「何も成し遂げられなかった」と落ち込む必要もない。
そんな兵士は山ほど見てきた。
問題は、そこから前に進むかどうかだ。
年末の浮かれた空気に飲まれて誤魔化すより、
一本のツリーに自分の覚悟を括りつけるほうがまだマシだ。
■雑学──ツリーにまつわる意外な話
・日本じゃ明治時代、銀座の商人が“集客目的”でツリーを導入したのが流行の火種。
どんな時代も、動きの早い奴が勝つのは変わらない。
・ツリーの頂点の星は「導く者」を象徴する。
つまり、お前が星を飾るということは“自分が導く側になる覚悟”でもある。
・北欧では、ツリーは“家の守護者”の役割も持っていた。
弱音も本音も、一度ツリーに預けて整理するという習慣があった。
──今よりよほど合理的だな。
■ツリーを飾ることは、“自分を整備する”こと
兵士は装備が命を左右する。
迷ったり怠れば死ぬ。
ツリーも同じだ。
飾る行為で自分の“内側の装備”を確認する。
・今年の自分の欠点
・まだ伸ばせる強み
・捨てるべき癖
・来年に持っていくべきもの
・もう不要な関係や思考
ツリーの前に立つと、妙に落ち着いて整理できる。
あれは単なる季節イベントに見えて、実際は“リセットと再構築の儀式”だ。
■兵長から、お前へ
ツリーを飾る理由なんて人それぞれだ。
楽しいからでもいい。
家族のためでもいい。
何かを忘れたいからでもいい。
だが──
「自分を変えたい」
「もっと強くなりたい」
「今年の自分にケリをつけたい」
そう思うなら、ツリーは役に立つ。
光を灯した瞬間、わずかでも心が前に動く。
その一歩が積み重なって人間は変わる。
戦場でも、人生でも同じだ。
ツリーを“飾り”として扱うか、
“覚悟の起点”として扱うかは、お前次第だ。
どちらにせよ、12月7日を「ただの記念日」で終わらせるな。
灯りをつけろ。
自分の弱さを照らし、越える準備を始めろ。
戦いは、もう始まってる。


